ゆずみそ

社会人1年目 料理したり運動したりうだうだしたり

地元にて

生まれる場所と育つ場所は選べない。

それでいて、それら場所には苦い思い出が詰まっている。

楽しかった記憶以上に、今ならもっとうまくやれるのになという苦い記憶。

だから、地元に帰るとあのころを思い出して少し複雑な気持ちになってしまう。

あのころから少しは成長できたのだろうか。

そう思いたいが、本質はさして変わっていないのだろう。

悔やんでもやり直せない物事ばかり。

そもそも、あのころがあって、もがいたからこそ今の自分がある。

今の自分だって、前より少しはマシになったかもしれないが数年先の自分から見ると恥ずかしいことばかりだろう。

人に優しく。

自分に優しく。

全てを受け入れて必死に生きるより他ないのだ。

そして、望もうと望むまいと私のルーツはこの地元で、この家族なのだ。

初心

 仲間の舞台を観に、一泊二日で鹿児島まで行ってきた。

ダンスに歌にと仲間がさらにパワーアップして輝いている姿が見れてよかった。

社会人になったことで土日に(しかも今回は大半が通いで!!)練習を行う凄さに感服した。ましてスタッフまでやるのは凄い。

いい仲間と久しぶりにたくさん会えて良かった。

よく実現したよなあ。

夢を見て他の人を巻き込みながらそれを実現する力。

みんな、たくさん頑張ったんだろうな。

 

演出の違い。交わりを喜んでいた人が武器を渡され戸惑いながら戦争に出る。

交流を放置したことが”取り返しの付かないこと”であったのなら、一体どうしたほうが良かったのだろう。そのまま国境を維持したほうが良かったのだろうか。

フラ難しかっただろうな。

最後が理想像とか幸せな未来図、おとぎ話における「そうして美奈は楽しく幸せに暮らしたとさ」みたいなファンタジー感は意図したものだったのかな。途中がもっと繋がっていれば現実感も出たのかな。

 

舞台にもう立ちたいとは今のとこもう思わないけど(人間関係の面倒臭さとか、配役や立ち位置なんかに対して自分がもやもやしてしまうことが嫌だ。それも含めて社会の週図なんだろうけど) ダンス習いたいな。体動かしたい。ダンスもっとうまくなりたい。

みんな以前にもましてステキな人になっていた。

ももっとステキな人になりたい。頑張るぞ。楽しむぞ。

そしてそんな素敵な人達から貰ったメッセージを久しぶりに見返した。

素敵な言葉をたくさんもらっていた。

特に

「それぞれの立ち位置でエースになろう」

私が以前言ったことを忘れていた。エースはたくさんいるんだ。輝き方はたくさんあるんだ。

みんながエースである大陸に私はなってほしかったんだ。みんながエースになれるんだ。

 

停滞している場合じゃない。やろう。もっと輝こう。

最近やっと腹落ちしてきたこと

物事や人に対して、

私とは合わない。好きじゃない。苦手。嫌い。そういうとこもあるよね。、はおっけー。むしろあって当然。

でも ダメだとか否定とかこうすべきという押し付けはあまりしたくない。

やり方とかあり方とかは様々で、許容した方が人生とか考え方とか豊かになるし。

均一化しろとか相手の考えを全て受け入れろ、合わせるというのではなくて、違いはあって当然で、でもその違いも受け入れて自分と相手の考えややり方の両方を大事にしたいな。

美意識

超絶美人なあの子や、芸能人のようになるのは到底難しいので。

私は私で、小綺麗な人を目指しましょう。感じのいい人に。

食生活や普段の生活、美容なんかをちょっとずつでも確実に積み重ねて。

もやもや

新しい週に入る前に、前の週のもやもやは全部捨ててしまいましょう。

 

東京は、年配の人がすごく多いように感じる。

自己主張の激しい、すぐに文句を言う、声の大きい年配の人が多いように感じる。

何で?

今まで長く住んでいた地域は(比較的)新興住宅地と、最近開発されてきた地域だったからかも。前者は同じような年代の家族しかあまりいなくて、後者は学生と若い家族ばかり。

昔から町があるような場所に、昔からずっと住んでいる人がいるような場所に私は今まで住んだことがなかった。

だからこそ親戚や学校の人以外の、"完全なる他人"としての目上の人はあまり見たことがない。

価値観や育ちが全く異なる”他人”と近くに暮らしたことがあまりない。

自分の理解できない人種というものをあまり見てきていないし、ただ声の大きい人や理不尽な人、誰かれ構わず当たり散らす人というものを見てきていないのだ。

だから声の大きい他人のことを驚きの目で見てしまう。その分、多く会っているように感じる。(いや実際に今までからしたら会っているんだけど)

世の中には、私が何も悪くなくともうるさい人というものは存在する。そういうときは「うんこ踏んじゃったな。どんまい」「大変そうだな」くらいに思っておけばいいのだ。

相手が何であろうと、それで私自身が変わることはない(もちろん、変わるべき理由が存在するときは別だけど)

 

**

 

研修や今やっている課題というものはあくまでも通過点なので、早かろうが遅かろうがその人にとって最良の形で終えることができればよい。

少しくらい躓いても、それを糧にできればよい。

少しの失敗でその人の価値が落ちることはない。

少しの失敗でその人がそれまでに成してきたことはなくならない。周りからの評価も変わらない。ちゃんと、わかってくれている。そういう仲間たちだ。

人によって得意なことは違う。取り組み方も違う。

人を気にしても自分の課題は進まないし、能力も伸びない。

自分のやるべきことに全力投球!

 

”私にしか出来ないこと”というのは世の中には存在しないだろう。

私は普通の人だ。私ができることは他の人も出来る。

でも、私の人生を生きることは他の人には出来ない。

だからこそ、望むとおりの人生を生きるために自分の能力を伸ばそう。可能性を伸ばそう。やりたいときにやりたいことをやれるような人間になっておこう。

美女と野獣

感想、覚え書きメモ。

 

エマ・ワトソンが本当にはまり役!!!

読書が好きとか、美人だけど変わり者とか、しっかり自己を持っているだとか。

そして世界観が作り込まれていてほんとうに綺麗。

エマ・ワトソンが美人なのはもちろんで、登場する小物や世界観も甘美な感じ。

最初のGoodMorning(?)村の中での曲はディズニーのユーモラスな雰囲気が3次元で実現されていて鳥肌が立った。

ポット夫人の優しく心に語りかける声が最高。あれは誰でも心開くわ。

ガストンのナルシーな感じや、強くて俺様なとこ、皆から好かれているけどたまについていけないという感じ、酒場での歌でバッチリ表現されていた。憎めない感じ。けど気性が荒いところもちょくちょく表現されていて、そのおかげで父親を森に置き去りにしたり鉄砲で野獣を撃ったりという乱暴なところも自然に受け入れられたんだろう。彼が唯一死んだのは”ディズニーの悪役”だから?ガストンのいい部分も書かれていたこともあって、殺すことはなかったのではないかなと思ってしまった。

野獣の駄々っ子王子みたいな部分がうまく表現されていた。

俳優さん皆歌うますぎ・・・エマ・ワトソンも美声。

Be Our Guestの演出はアニメ映画に合わせたんだろうけど、逆にあそこだけ浮いていた感じがした。元の映画を見ていたら感想は違ったのかなあ。他を全て三次元に落としていただけに違和感。歌は好きだけど。

お金がかかっている映画だなあ。

最後にベルが自分で助けに行ったり、自分から父親を逃がす辺りの自立心旺盛なところは最近の女性という感じがある。あの時代なら異端中の異端。原作ではどう書かれているんだろう。

冴えない村人が偉大な魔女だった辺りが”人は見た目じゃない”ということなんだろうけど、ガストンはベルのことを完全に見た目で気に入ってるんだよな。でも村の女の子もガストンのことは見た目で気に入ってるふしあるし、村人は見た目で好きになっている感じがある。

ベルは野獣のことを見た目でなく気に入ったのだろうけど、野獣はどうなんだろう。見た目も大きそうだよなあ。結局のとこガストンがベルを気に入ってないとお話が成り立っていないところもあるし、そもそもベルが醜い娘なら父親はベルを大事にしていなかった可能性もあるし、野獣の城でも早く返されたかもしれないし。

見た目で中身は測れないけど、見た目もやっぱりある程度は重要ですよ。どっちも磨こう。

エマ・ワトソンのように中身も外見も素敵な女性を目指そう。

朝の村のシーンが1番好きだったな。後はベルと野獣が打ち解けていい感じになっていく辺り。

戦いのシーンはレ・ミゼラブルの革命のシーンとなんか似ているなと思った。ミュージカルで大勢の人が戦いに赴くシーンだからかな。好き。

黒人の人がたくさん起用されている辺りや、雄々しい男性が女性の格好をしてから自我に目覚めている感じが人種問題や性問題に配慮や切込みをしているなと感じた。多様な世界。

昔のフランスの田舎においてベルだけ髪型などが”現代風”なのは、現代の映画だから?それともベルが流行を気にしていない表現?

薔薇の花弁は結構早く落ちていったけど、ベルが城に訪れたのは呪いがかけられてからどのくらい時間が立ってからなんだろう。呪いがかけられる前はベルは城に行っていたのかな。

お城の家来などが動く感じが、技術の進歩を感じた。

 

美女と野獣自体は小さい頃から余り好きな話ではなかった。

何故だろう?幼心にストーリーが鉄板だったから?ディズニーのアニメ映画時の絵が好きじゃなかったから?

多分後者が大きいのかもしれない。

今回見てみて、考え自立し生きる一人の素敵な女性としてベルに憧れた。そして映画自体も好きだ。

自意識過剰。

誰も大人数の中で私なんて気にしてない。

だからこそ私は私のことを大事にして、ペースも保って、ただやるだけさ。

 

結果を出さなきゃ見てももらえない。