美意識
超絶美人なあの子や、芸能人のようになるのは到底難しいので。
私は私で、小綺麗な人を目指しましょう。感じのいい人に。
食生活や普段の生活、美容なんかをちょっとずつでも確実に積み重ねて。
もやもや
新しい週に入る前に、前の週のもやもやは全部捨ててしまいましょう。
東京は、年配の人がすごく多いように感じる。
自己主張の激しい、すぐに文句を言う、声の大きい年配の人が多いように感じる。
何で?
今まで長く住んでいた地域は(比較的)新興住宅地と、最近開発されてきた地域だったからかも。前者は同じような年代の家族しかあまりいなくて、後者は学生と若い家族ばかり。
昔から町があるような場所に、昔からずっと住んでいる人がいるような場所に私は今まで住んだことがなかった。
だからこそ親戚や学校の人以外の、"完全なる他人"としての目上の人はあまり見たことがない。
価値観や育ちが全く異なる”他人”と近くに暮らしたことがあまりない。
自分の理解できない人種というものをあまり見てきていないし、ただ声の大きい人や理不尽な人、誰かれ構わず当たり散らす人というものを見てきていないのだ。
だから声の大きい他人のことを驚きの目で見てしまう。その分、多く会っているように感じる。(いや実際に今までからしたら会っているんだけど)
世の中には、私が何も悪くなくともうるさい人というものは存在する。そういうときは「うんこ踏んじゃったな。どんまい」「大変そうだな」くらいに思っておけばいいのだ。
相手が何であろうと、それで私自身が変わることはない(もちろん、変わるべき理由が存在するときは別だけど)
**
研修や今やっている課題というものはあくまでも通過点なので、早かろうが遅かろうがその人にとって最良の形で終えることができればよい。
少しくらい躓いても、それを糧にできればよい。
少しの失敗でその人の価値が落ちることはない。
少しの失敗でその人がそれまでに成してきたことはなくならない。周りからの評価も変わらない。ちゃんと、わかってくれている。そういう仲間たちだ。
人によって得意なことは違う。取り組み方も違う。
人を気にしても自分の課題は進まないし、能力も伸びない。
自分のやるべきことに全力投球!
”私にしか出来ないこと”というのは世の中には存在しないだろう。
私は普通の人だ。私ができることは他の人も出来る。
でも、私の人生を生きることは他の人には出来ない。
だからこそ、望むとおりの人生を生きるために自分の能力を伸ばそう。可能性を伸ばそう。やりたいときにやりたいことをやれるような人間になっておこう。
美女と野獣
感想、覚え書きメモ。
エマ・ワトソンが本当にはまり役!!!
読書が好きとか、美人だけど変わり者とか、しっかり自己を持っているだとか。
そして世界観が作り込まれていてほんとうに綺麗。
エマ・ワトソンが美人なのはもちろんで、登場する小物や世界観も甘美な感じ。
最初のGoodMorning(?)村の中での曲はディズニーのユーモラスな雰囲気が3次元で実現されていて鳥肌が立った。
ポット夫人の優しく心に語りかける声が最高。あれは誰でも心開くわ。
ガストンのナルシーな感じや、強くて俺様なとこ、皆から好かれているけどたまについていけないという感じ、酒場での歌でバッチリ表現されていた。憎めない感じ。けど気性が荒いところもちょくちょく表現されていて、そのおかげで父親を森に置き去りにしたり鉄砲で野獣を撃ったりという乱暴なところも自然に受け入れられたんだろう。彼が唯一死んだのは”ディズニーの悪役”だから?ガストンのいい部分も書かれていたこともあって、殺すことはなかったのではないかなと思ってしまった。
野獣の駄々っ子王子みたいな部分がうまく表現されていた。
俳優さん皆歌うますぎ・・・エマ・ワトソンも美声。
Be Our Guestの演出はアニメ映画に合わせたんだろうけど、逆にあそこだけ浮いていた感じがした。元の映画を見ていたら感想は違ったのかなあ。他を全て三次元に落としていただけに違和感。歌は好きだけど。
お金がかかっている映画だなあ。
最後にベルが自分で助けに行ったり、自分から父親を逃がす辺りの自立心旺盛なところは最近の女性という感じがある。あの時代なら異端中の異端。原作ではどう書かれているんだろう。
冴えない村人が偉大な魔女だった辺りが”人は見た目じゃない”ということなんだろうけど、ガストンはベルのことを完全に見た目で気に入ってるんだよな。でも村の女の子もガストンのことは見た目で気に入ってるふしあるし、村人は見た目で好きになっている感じがある。
ベルは野獣のことを見た目でなく気に入ったのだろうけど、野獣はどうなんだろう。見た目も大きそうだよなあ。結局のとこガストンがベルを気に入ってないとお話が成り立っていないところもあるし、そもそもベルが醜い娘なら父親はベルを大事にしていなかった可能性もあるし、野獣の城でも早く返されたかもしれないし。
見た目で中身は測れないけど、見た目もやっぱりある程度は重要ですよ。どっちも磨こう。
エマ・ワトソンのように中身も外見も素敵な女性を目指そう。
朝の村のシーンが1番好きだったな。後はベルと野獣が打ち解けていい感じになっていく辺り。
戦いのシーンはレ・ミゼラブルの革命のシーンとなんか似ているなと思った。ミュージカルで大勢の人が戦いに赴くシーンだからかな。好き。
黒人の人がたくさん起用されている辺りや、雄々しい男性が女性の格好をしてから自我に目覚めている感じが人種問題や性問題に配慮や切込みをしているなと感じた。多様な世界。
昔のフランスの田舎においてベルだけ髪型などが”現代風”なのは、現代の映画だから?それともベルが流行を気にしていない表現?
薔薇の花弁は結構早く落ちていったけど、ベルが城に訪れたのは呪いがかけられてからどのくらい時間が立ってからなんだろう。呪いがかけられる前はベルは城に行っていたのかな。
お城の家来などが動く感じが、技術の進歩を感じた。
美女と野獣自体は小さい頃から余り好きな話ではなかった。
何故だろう?幼心にストーリーが鉄板だったから?ディズニーのアニメ映画時の絵が好きじゃなかったから?
多分後者が大きいのかもしれない。
今回見てみて、考え自立し生きる一人の素敵な女性としてベルに憧れた。そして映画自体も好きだ。
せるふこんとろーる
緊張感は大事。
仕事なのだから責任感も大事。
でも業務の状況とか得意不得意は人によって違うのだから、他の人に引っ張られて焦る必要はない。
自分のやるべきことを、自分のなすべきスピードでやるだけ。
全部、人それぞれ。
飲み会
気楽に居られる相手と、
気を使って場を盛り上げたりしないといけない相手と、
自分の気持ちの緊張とリラックス。
だからこそリラックスして楽しめる相手は大事にしないといけない。
リラックスしててかつ楽しいのは当たり前ではない。
むしろ通常が気を使って緊張なのだ。
■
いっぱい人に甘えて、いろんな人のおかげで今ちゃんと生きてる。
今までを支えてくれた人のありがたさは言うまでもなく、
そして今の会社で会えた人たちの幸運にも感謝。
息がしやすくなったし、
話しやすくなったし、
よく笑うようになった。
素でいろんな人に素直に相対できるようになったし、受け入れてもらえるようになった。
でもちゃんと人に気を使えないブスはダメだから、ちゃんと気は回そうね。